西郷隆盛って言えば、幕末から明治の超有名人!
歴史好きでない人でも、一度ぐらいは絶対耳にするような名前ですよね?
ところで!
その『西郷隆盛』って、本名じゃないってご存知でした?
「えっ?ウソでしょ?」なーんて声も聞こえて来そうですが…
じつは、本当!
しかも、そうなってしまったのは、単なる手違いと西郷さんの出自が原因だったようです。
今回は、西郷隆盛の本名や様々な変名、出自などについて簡単にまとめましたー。
ヨシ
3分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
西郷隆盛の本名は『隆永』
ではでは、まずは西郷さんの名前から!
西郷さんの本名は、じつは隆盛じゃなく『西郷隆永』っていうんです!
この時代の武士は、普通3つの名前を持っています。
- 幼い頃につけられる「幼名」
- 一般的な呼び名である「通称」
- 正式な本名で、気軽に呼ぶと失礼にあたる「諱(いみな)」
そして、生まれてから元服するまでは「幼名」を名乗り、元服してからは「通称+諱(いみな)」を名乗るのが習慣になっていました。
つまり、西郷さんの場合…
幼い頃は、「幼名」の「西郷小吉」を名乗り
元服してからは、「通称+諱(いみな)」の「西郷吉之助隆永」を名乗り
本名は「諱(いみな)」の「隆永」
…っという感じになる訳ですね。
ではでは!
どういう経緯で「隆永」が「隆盛」になっちゃったんでしょう?
友人が西郷の父の名前と間違えちゃった
じつは、西郷さんの友人の吉井友実(よしいともざね)さんが、間違えちゃったのが原因なんです!(笑)
明治新政府のために貢献した西郷さんは、明治天皇から位階を授かる事になりました。
授受の書類を作るために諱(いみな・本名)が必要でしたが、あいにく西郷さんは箱館遠征のために不在でした。
そこで、友人の吉井さんに聞いたところ、間違えて西郷さんの父親の名前を答えてしまったんだとか(汗)
「えっ?ふつう友達の名前、間違える?」なーんて、現代の常識なら思ってしまいますよね?
でも、この時代は、諱(いみな)で呼ぶのは、失礼にあたってしまいます。
吉井さんも、西郷さんの事を普段は「吉之助」と呼んでいたので「あれ?本名は何だっけ?」ってなってしまった訳です。
いやー、人生で何度も名前が変わったり、呼んじゃいけない名前が本名だったり…
これじゃ、こんな間違いが起こるのも仕方ないかも?
でも!
西郷さんの場合、どうやらそれだけが原因じゃなかったようです。
肖像画も本人じゃなかった
西郷さんの超有名なこの肖像画も、本人じゃないってご存知でしたか?
じつはこの肖像画は、イタリア人画家のキヨッソーネが、西郷さんの弟の従道と、従兄弟の大山巌を参考にして描いたもの。
西郷さんは大の写真嫌いで、写真はおろか肖像画も一切書かせなかったんだとか。
このため、写真も肖像画も1枚も残っていないため、仕方なく西郷さんの死後になって弟と従兄弟を参考に!という事になってしまったそうです。
上野の有名な銅像も、やっぱり本人がモデルじゃないんだとか。
ではではそんな西郷さん、どうしてそこまで写真を嫌っていたのでしょうか?
どうやら、その出自に関係していたようです!
西郷は薩摩藩の御庭方(隠密)だった
西郷さんの家系は、じつは代々薩摩藩の御庭方だったんです。
御庭方と言えば、昔風に言えば「隠密」とか「忍者」、今風に言うと「諜報員」とか「スパイ」です。
写真や似顔絵の類を嫌うのは、無理もない話ですよね?
そして名前についても、諜報や工作のため、また工作失敗の際に幕府の目をくらますため、変名を繰り返し…
記録に残っているだけでも、10回も名前を変えています!
西郷小吉
西郷吉之助隆永
西郷善兵衛
西郷吉兵衛
菊池源吾
菊池三助
大島三右衛門
大島吉之助
西郷吉之助
西郷武雄
これじゃあ、西郷さんの友人の吉井友実(よしいともざね)さんも、きっと唸った事でしょう…
「本名、ドレだよ?」
<( ̄口 ̄||)>
まとめ
そしてその後!
なぜか西郷さんは「隆盛」という間違った本名をそのまま受け入れて、戸籍もそれで登録してしまったんだとか…
ココでも、やっぱりツッコミたくなりますよね?
「えっ、何で?」
(; ̄◇ ̄ ゴクリッ
西郷さんが律儀な性格で「明治天皇にせっかく位階を頂いた名前だから」と考えたため?
それとも、おおらかな性格で「少し間違ってるけど、まぁ良いっか?」ってなったため?
はたまた「名前色々変えちゃったから、間違われても無理ないか?」って思ったため?
この辺の真相は、闇の中ですね(笑)
西郷さんの本名は「西郷隆永」
「隆盛」になっちゃったのは、友人のミスかもしれないけど…
薩摩藩の隠密として、これだけ名前変えてれば、まあ無理もないかも?(汗)