今日は織田信長についてのお話!
織田信長の最後の言葉としては、「是非に及ばず」が有名ですよね?
でもこの言葉って、あまりに有名過ぎていろんな意味で「諸説あり」じゃないですか?
例えば…
『是非に及ばずって、結局どんな意味だったの?』とか。
『それって本当に、信長の最後の言葉っだったの?』なーんて。
そこで今回は「是非に及ばず」とはどんな意味?
織田信長の最後の言葉って本当?なんて事についてまとめてみましたー。
ヨシ
3分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
織田信長の最後の状況は?
ではではまずは、信長の最後の場面から…
1582年、中国地方の毛利攻めに向かう途中のことでした。
信長は近習の者わずか100人ほどを連れて、京都の本能寺に宿泊していました。
そこを明け方に、明智光秀の軍1万3千が急襲!
世にいう本能寺の変です。
『信長公記』によると、はじめ信長や小姓衆は、この騒ぎを部下同士のケンカぐらいに思っていたようです。
ところが、しばらくすると明智軍が鬨の声を上げ、本能寺に鉄砲を撃ち込んできます。
そこで謀反に気づいた信長が、森蘭丸に尋ねる訳です。
信長:『これは謀反か?何者の企てだ?』
蘭丸:『明智勢のようにお見受けします。』
ここで、最後の言葉とされるあの有名なフレーズが出るわけですね。
信長:『是非に及ばず。』
『是非に及ばず』とはどんな意味?
ではでは、この『是非に及ばず』という言葉!
信長は、一体どんな意味で使ったのでしょうか?
一般的に、2つの解釈がある!なんて言われています。
- 仕方がない
- 是非を論じている暇はない
ヨシ
それぞれ見ていきましょう!
仕方がない
もっとも一般的なのが、仕方がない・やむを得ないといった解釈ではないでしょうか。
辞書なども、この表示が多いようです。
「相手があの優秀な明智光秀なら、今さらジタバタしても無駄だろう。」
そんな、あきらめムードが漂うニュアンスですね。
是非を論じている暇はない
もう一つの解釈が、是非を論じてる暇はない!
こちらも、最近見直されて、けっこう多い解釈ですよね?
「そうか…今はこれ以上詮索しなくて良い!」
そんな暇があったら、すぐに反撃にかかるぞ!といった感じでしょうか。
結局どっちが本当なの?
ではでは、結局どっちが本当なのでしょうか?
どうも『是非を論じている暇はない』という説の方が正解!っぽいですね。
『信長公記』の続きを見てみると…
是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと御諚のところに、森乱申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと上意候。透をあらせず、御殿へ乗り入れ、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。
信長が『是非に及ばず』と命じた後、すぐに御殿に入り、御番衆と合流して、戦闘態勢に入った様子が描かれています。
つまり、信長が発した命令は『仕方がない、あきらめろ!』ではなく『今はこれ以上詮索するな、反撃にかかるぞ!』という意味だった訳です。
織田信長の本当の最後の言葉は何?
ではでは、この『是非に及ばず』という言葉が、本当に織田信長の最後の言葉だったのでしょうか?
じつは、まだ先があったようです。
余は余自ら死を招いたな
スペイン商人の見聞録に、こんな記述があります。
信長は明智が自分を包囲している次第を知らされると、何でも噂によると、口に指をあてて、余は余自ら死を招いたなと言ったと言うことである。
『日本王国記』(アビラ・ヒロン著/岩波書店)
信長の黒人家臣の弥助に、信長の最後の様子を聞いたところ…
明智軍に包囲された時に、信長が『余は余自ら死を招いたな』と呟いたという記録が残っています。
女は苦しからず、急ぎ罷りいでよ
さらに場面は進みます。
『イエズス会日本年報』によると、明智軍が本能寺になだれ込み、弓矢を放って信長の背中に命中させたそうです。
そして、その矢を引き抜き、薙刀で応戦する信長。
しかし多勢に無勢、善戦むなしく死を覚悟した時、いよいよ『信長公記』に伝わる最後の言葉が…
『女は苦しからず、急ぎ罷りいでよ』
「女は遠慮(心配)するな、急いで逃げろ」ぐらいの意味でしょうか?
その後、信長は腕に銃弾が当たるまで奮戦したそうですが…
やがて奥の部屋に入り、静かに戸を閉じたそうです。
まとめ
さてさて、少し長くなったので、この辺でまとめます!
是非を論じている暇はない!
これ以上詮索するな!
是非に及ばず
余は余自ら死を招いたな
女は苦しからず、急ぎ罷りいでよ
織田信長の死については、謎に満ち諸説あり過ぎでなので…
今回は「最後の言葉」にポイントを絞ってまとめてみました!