今回は、織田信長が家臣とか子供につけた、あだ名や呼び名の話!
信長って言えば、「短気」とか「ちょっと怖い」なんてイメージありますよね?
でも案外、「ひょうきん」っていうか「お茶目」なところもあったりするんですよ。
祭りの時に女装して踊ったり、相撲が好き過ぎて大相撲大会を開いちゃったり(笑)
じつは、信長の家臣や子どもたちの呼び方にも、信長のひょうきんなセンスがキラリと光っていたりします!
そこで今回は「爆笑!織田信長が家臣や子供につけた変なあだ名や呼び名傑作選」ということで。
信長のユニークなセンスに迫ってみましたー。
ヨシ
5分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
織田信長が家臣につけた変なあだ名
ではではさっそく、織田信長が家臣につけたあだ名から。
まずは、豊臣秀吉から行ってみましょう!
豊臣秀吉=六つ目=ハゲネズミ
変なあだ名の信長の家臣といえば、まず思いつくのが豊臣秀吉!
信長が秀吉の事を「サル」と呼ぶシーン、ドラマなどでもよく見かけますよね?
でもコレってじつは、ウソだったらしいのです。
秀吉の本当のあだ名は、「六つ目」!
前田利家の「国祖遺言」や、ルイスフロイスの「日本史」によれば、秀吉は生まれつき右手の指が6本あったため、日ごろ信長は秀吉の事を「六つ目」と呼んでいたそうです。
今の常識で考えれば、かなりNGなあだ名ですよね?(汗)
さらにもう1つ、信長が秀吉につけたあだ名が「ハゲネズミ」(笑)
ある日秀吉の正室の寧々(ねね)が、秀吉のあまりの女グセの悪さにキレて、上司の信長に手紙で愚痴りました。
その返信で信長が「あなたほどの女性を二度とあの「ハゲネズミ」は見付けることができない」と慰めたそうです。
明智光秀=キンカ頭
信長は明智光秀を「キンカ頭」というあだ名で呼んでいた!なんて有名な説もあります。
「キンカ」とは金柑(きんかん)の事で、「ハゲ頭」という意味。
ただし、これは後世の創作で、フィクションと言うかウソ!
出どころは、司馬遼太郎氏の小説のようです。
本能寺の変の布石っぽくするために、信長のハゲいじりやパワハラを物語にはさみ込んだのかもしれませんね?
平野甚右衛門=ちょっぽり
信長の馬廻衆の中に、平野甚右衛門という男がいました。
馬廻衆と言えば、信長の親衛隊!武芸に優れた者ばかりが集まっているのですが。
中でも、甚右衛門は桁外れ!
あの槍の又左と呼ばれた前田利家や佐々成政よりも、強かったそうです。
ただ体格の良い親衛隊の中では、ひときわ小さかったようです。
そこで、信長が甚右衛門につけたあだ名が「ちょっぽり」。
「チビ」ぐらいの意味です!
信長軍で一番強かった男のあだ名が「チビ」って、いかにも信長らしいですよね?(笑)
前田利家=犬
信長は、前田利家のことは「犬」というあだ名で呼んでいたようです。
これは、利家の幼名の「犬千代」から来ているのですが…。
前田利家と言えば、織田家で1.2を争う武芸の達人、身長180cm以上の当時としては巨人です!
それを「犬」って…(笑)
黒田長政=松
同じく幼名で呼ばれていたのが、黒田長政です!
黒田長政の幼名は「松寿丸」。
ここからとって、信長は長政のことを「松」というあだ名で呼んでいたそうです。
佐久間信盛=大緩山(おおぬるやま)
織田家の家臣団の筆頭格だった、佐久間信盛は「退き佐久間」というあだ名で呼ばれていました。
これは信盛が、難しい退却戦を得意としていたから!
ただし、1573年の朝倉攻めの際「敵は必ずすぐに退却するから、その機を逃さず追撃にかかれ!」
という指示を信長から受けていたにも関わらず、敵の退却に気づかないという失態をおかしてしまいます。
その時から、その戦場の名前を取って「大緩山(おおぬるやま)」と呼ばれたそうです。
さすがにコレは、ちょっと可哀想ですよね?(汗)
長宗我部元親=鳥なき島の蝙蝠
家臣ではないのですが、四国の長宗我部元親にも、信長はあだ名をつけています。
長宗我部元親と言えば、言わずとしれた四国の覇者!
「鬼若子(おにわこ)」とか、「土佐の出来人」なんて異名でも有名ですよね?
(※ただし幼い頃は、めちゃくちゃ大人しく女の子みたいで、家臣にまで「姫若子(ひめわこ)」という陰口を叩かれていたそうです。)
そんな元親が四国統一を目の前にした頃、信長がつけたあだ名が「鳥なき島の蝙蝠(こうもり)」!
ライバルの居ないところで、良い気になってる!とか、井の中の蛙のような意味なのですが…。
家臣じゃないだけに、コレはちょっと悪意がありますよね?(汗)
信長が子供につけた変な呼び名(幼名)
信長は家臣だけではなく、子供にもユニークな呼び名をつけています。
嫡男の信忠の幼名は、なんと「奇妙丸」!
顔が奇妙だったからとか言わていますが、子供にそんな名前つける親のほ方がよっぽど奇妙ですよね?(笑)
そして、次男の信雄には「茶筅丸(ちゃせんまる)」。
茶筅って、あのお茶をたてる道具ですよ!
三男の信孝は、3月7日生まれということで「三七」。
四男の秀勝にいたっては「於次」って…「はいお次!」って感じでしょうか?
五男の勝長あたりからは、もう面倒になって来たのか「御坊丸」。
御坊はそのまま「お坊ちゃん」という意味です。
そして、六男の信秀と七男の信高は、「大洞(おおぼら)」「小洞(こぼら)」
八男の信吉は、母の「お鍋の方」からもじって、晩酌の「酌」!
この辺で、本気で飽きてしまったのか、九男の信貞には「人」
十男の信好には「良好」という幼名をつけています。
織田信忠(嫡男) | 奇妙丸 |
織田信雄(次男) | 茶筅丸 |
織田信孝(三男) | 三七 |
織田秀勝(四男) | 於次(おつぎ) |
織田勝長(五男) | 御坊丸 |
織田信秀(六男) | 大洞 |
織田信高(七男) | 小洞 |
織田信吉(八男) | 酌 |
織田信貞(九男) | 人 |
織田信好(十男) | 良好 |
織田長次(十一男) | 緑 |
じつは、戦国時代には、子供に変な名前をつける習慣がありました!
当時は、今と違って子供の死亡率が、めちゃくちゃ高かったんですね。
当時の人は、それを天に魅入られて、召されてしまうからと考えていたようです。
そこで、天に気に入られないように、変な名前をつける場合もあったのですが…。
それでも、さすがに「奇妙」とか「人」とか「良好」とかって、ないですよね?(笑)
ちなみに信長自身のあだ名って?
ではでは、そんな信長自身のあだ名って、どんなだったのでしょうか?
じつは、こんな2つのあだ名がありました!
これって、けっこう有名じゃないですか?
- 大うつけ
- 第六天魔王
大うつけ
※出典:中日新聞プラス
「大うつけ」とは、今風に言えば「大まぬけ」とか「大バカ」ぐらいの意味。
「ボーッ」としてるというよりも、どちらかと言えば「奇抜」とか「ヤバい」という感じ?
本来なら、上品に颯爽としていなければならない大名の息子なのに…
袖をちぎった浴衣に荒縄を巻いて、何個も瓢箪ぶらさげて。
茶筅みたいな変な髷(まげ)に、真っ赤な大太刀!
ヒョウ柄の短パン履いて、家臣と肩を組み、柿をかじりながらそこら中を与太って練り歩く訳です。
コレって、ヤバい以外の何ものでもないですよね?(笑)
第六天魔王
これは、あだ名というより、元々は信長の自称なんですよね。
比叡山延暦寺を焼き討ちした信長に対し、仏教勢力と仲が良かった武田信玄が同盟を破棄して宣戦布告します。
この時の手紙の信玄の署名が「天台座主沙門信玄」。
簡単に言えば、仏の道・天の道を歩む者の代表として信長を成敗する!みたいなニュアンスでしょうか?
これに対し、信長が返信の際にした署名が「第六天魔王」。
欲望にまみれたこの世の魔王が受けて立つ!ぐらいの意味でしょうか?
この辺の返しも、ちょっとウィットに飛んでますよね?(笑)
まとめ
さてさて「爆笑!織田信長が家臣や子供につけた変なあだ名や呼び名傑作選」いかがでしたでしょうか?
メチャクチャ短気で怖くて情け容赦ない!なんて信長のイメージ、ちょっと変わりましたか?
ボクの場合、記事を書いていて、けっこう親近感を感じたりしました。
まあ、ちょっと変わり者!なんてイメージは、さらに強くなりましたが…(笑)
ちなみに!
この記事を読んだら、今度は織田信長の人間味みたいのも感じてもらえるかも?
もし良かったら、読んでみてください!