今回のテーマは、織田信長の旗について!
「信長が戦場で使っていた旗印って、どんなの?」
「家紋とはどう違うの?」
「旗印に込められた意味って?」
なーんてお話!
信長の家紋とかって、けっこう有名ですよね?
でも戦場で使っていた旗なんかは、知名度はイマイチなのでは?
そこで今回は、その辺りについて、簡単にまとめてみました!
ヨシ
3分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
織田信長の旗ってどんなの?
さっそくですが、織田信長が戦場で使っていた旗は、じつはこんな感じ!
永楽通宝(永楽銭)と呼ばれる、その当時流通していたお金がモチーフになっています。
『信長記』には、こんな記述があります。
「信長公の旗は、一幅の黄絹に永楽の銭を付け、招きには南無妙法蓮華経のはね題目を書付けたる
信長公の旗は、黄色い絹に永楽銭の紋をつけ。
吹き流しのような部分には、跳ね文字で「南無妙法蓮華経」と書いてあった!という感じ。
まあ、信憑性の高い『信長公記』でなく『信長記』なので、下地の絹は白かったとかいう異説もあったりします。
でも、信長が使っていた旗が、永楽銭だったというのは、ほぼ通説になっています。
家紋と旗印の違いは?
ではでは、家紋と旗印の違いは何なのでしょうか?
家紋はその人の出自や家格を表すような意味があり、旗印は戦場での目印のような意味があります。
そして旗印の方は、その武将の座右の銘とか、死を恐れず!のような決意表明的なものが多いようです。
例えば…
信長の一番有名な家紋と言えば「織田木瓜」ですがコレは、自分の出自である忌部氏の家紋「三盛木瓜に二引き」から来ている訳ですね。
信長も当初の旗印は、この「織田木瓜」を使っていたようですが、天下布武を目指す頃から「永楽銭」に変わって行ったようです。
信長の旗印の意味は?
それでは、信長の旗印の意味は何だったのでしょうか?
じつは、これはハッキリとは分かっていないんですね。
ただし、状況から推測することぐらいは、出来そうですよね?
例えば、徳川家康の旗印は「厭離穢土・欣求浄土」ですが…
コレの意味は、我欲で争う戦国時代に身を置き戦いながらも、平和を願う!的な決意表明です。
実際、家康は戦国時代を終わらせて、江戸という平和な世の中を作り上げてますよね?
信長の場合だったら、天下布武を目指す頃から永楽銭の意匠を使いはじめたということは…
経済力で天下を統一する!ぐらいの意味があったのではないでしょうか?
実際、信長の戦い方を見てると、そんな気がするのはボクだけでしょうか?
旗印と馬印、旗指し物の違いは?
最後にちょっとだけ、ゴッチャになりやすい部分だけを、補足的に用語を整理しておきますね!
まずは旗印とは、戦場で使う旗のこと!
コレは、その武将のいる部隊の目印になります。
似たものに馬印というのがありますが、コレはちょっと別物!
その武将が乗っている馬の脇に立て、武将の居場所を表す目印になります。
信長の場合は、旗印が黄色い永楽銭の旗、馬印が金色の唐傘か南蛮傘を使っていました。
そして、この旗印と馬印を合わせて旗指し物と呼びます。
信長の旗印は、永楽銭に跳ね題目!
馬印は、金の唐傘か南蛮傘。
旗印の永楽銭の意味は、経済力で天下を統一!という決意表明なのでは?