織田信長と言えば「天下布武」という感じで、「武力」に目が行きがちですよね?
でも本当に優れていたのは、その「政策」!
政治や経済に見る手腕には、まさに目をみはるものがあります。
そこでこのページでは、織田信長の政策の特徴やねらい、影響などを一覧にしてまとめました!
楽市楽座=経済活性化
関所撤廃=物流活性化
なんてマニュアルどおりの歴史じゃ物足りない!なんて方には、とくに楽しんでもらえるかと思います。
ヨシ
4分ほどで、サクッと読めるかと思います。
どうぞ最後までおつき合いください!
Twitter(@yoshi001)
織田信長の政策の特徴
ではでは、まずは信長の政策の特徴は?なんてお話から。
信長の政策の特徴は、なんと言っても流れの源を丸ごとおさえる!という発想にあります。
ふつう武士と言えば、一所懸命!
自分の領地や領国を命をかけて守る!そんな意識の人がほとんどですよね?
つまり、土地をおさえるという発想でしょうか?
なので、一生のうち、一度も本拠地を変えない!というのが普通です。
ところが信長の場合は…
那古野城→清洲城→小牧山城→岐阜城→安土城と、なんと4回も本拠地を変えています!
これは、尾張という土地をおさえるのではなく、流れの源である首都「京都」をおさえるという発想ですね。
そしてこの、流れの源をおさえるという発想が…
中央集権化→国内の経済と流通の独占支配→貿易の独占支配という政策に繋がって行きます。
信長の政治政策一覧!ねらいや影響は?
そんな信長の、おもな政治政策を一覧にすると、こんな感じになります!
- 中央集権化(1567年~)
- 経済と流通の独占支配(1568年~)
- 貿易の独占支配(1569年~)
3つの政策のねらいや影響は、どんな感じなのでしょうか?
それぞれ見ていきましょう!
中央集権化について
信長が中央集権化を意識し始めたのは、岐阜城に移った1567年頃から。
この頃から、天下布武の印を使いはじめています。
ねらいはもちろん、首都京都をおさえて、日本という国を丸ごとおさえる天下統一!
これを今風に言えば、中央集権体化という言い方になるでしょうか?
自分の土地に固執するという、地方行政官的な性格が強い武士の中で、中央集権化の発想はかなり画期的で後世に影響を与えています。
その後の豊臣秀吉にしても、徳川家康にしても、武士のトップが中央集権化をはかるのが常識になりました。
国内経済の独占支配について
1568年に、信長は将軍の足利義昭を奉じて、京都に上洛しました。
これに対して義昭は、お礼として信長に副将軍の地位を授けようとします。
ところが信長は、それを辞退して、代わりに堺・大津・草津の支配権を認めてもらいます。
名誉や官位を欲しがる武士が多い中で、コレもかなり異例で、世間からすればなんと欲がない…なんて思われたかも?
でも信長のねらいはもちろん、トップクラスの物流拠点を3つ丸ごとおさえて国内経済を独占支配すること!
この結果、信長は独占的な経済力を持ち、経済力を使った天下統一が可能となる訳です。
南蛮貿易の独占支配
さらに信長は、国内経済だけでなく、南蛮貿易も独占的に支配しました。
ねらいはもちろん武器、鉄砲の火薬に使う硝石です!
信長の時代ではすでに、鉄砲や火薬などが無いと戦に勝てなくなっていました。
信長はキリスト教の保護を交換条件にして、南蛮貿易をほぼ独占して行きました。
この結果、信長には莫大な経済力と、武器の支配権を確立しました。
信長の経済政策一覧!ねらいや影響は?
っとこんな感じで、中央集権化・国内経済の独占・貿易の独占を3本柱として…
信長は具体的な経済政策を、次々に打ち出していきます。
内容を一覧にすると、こんな感じ!
- 楽市楽座(1567年~)
- 関所撤廃・道路整備(1568年~)
- 撰銭令(1569年~)
- 生野銀山の直轄化(1569年~)
- 商業都市の直轄化(1569年~)
ねらいやその後の影響など、それぞれ見ていきましょう!
楽市楽座
楽市楽座と言えば、歴史の教科書なんかでは、大名が城下町を反映させるための経済政策!
なんてサラリと終わってしまう感じですよね?
それもで内容的に合ってはいるのですが、もう一つ大事な要素が抜け落ちてます。
じつは楽市楽座には、既得権益を壊す!という重要なねらいがあったんです。
当時の経済は、一部の特権を持った豪商と寺社のような宗教団体が、「座」というグループを作って独占的に支配していました。
つまり、楽市楽座には…
既得権益の資金源となっている「座」を壊し、信長が経済の主導権を握りながら市場を開放する!
…そんなねらいがあった訳です。
この政策の結果は、豪商や寺社勢力の力は削ぐことが出来ましたが、大名と新興商人が新たに「座」のようなものを作るケースが多発しました。
関所撤廃・道路整備
信長はまた、物流をスムーズにして、流通のコストを下げるために、関所を撤廃して道路を整備しました。
これも、当時としては革新的な政策です!
普通の大名が関所を撤廃すれば…
- 関銭という大切な資金源を失いますし
- 他国から簡単に攻め込まれてしまいます
莫大な経済力と強力な軍事力を備えた、信長だからこそサクッと出来た政策ですね。
この政策のねらいはもちろん、経済の活性化のついでに、地方の大名の資金源を断って弱体化させること!
撰銭令
さらに信長は、貨幣の流通をスムーズにするために、撰銭令を発布しています。
ねらいとしては…
- 貨幣の流通を増やし
- 悪貨の流入を防ぐこと
当時の貨幣は粗悪で、欠け銭や割れ銭、文字の消えた銭などの破損した銭が多く流通していました。
そして、当時の習慣では、銭が破損すると価値が下がり、例えばちょっと欠けた100円は60円~80円といった感じ?
ただ、これ問題なのは、人によってレートが違ったりするんですよね(汗)
しかも、ここに外国の通貨やら、偽の銭なんかが混ざるので、支払いの時に毎回混乱する訳です。
そこで信長はレートを決めて、ルールを守らなければ厳罰!という感じにしたのですが…
その結果、逆にみんなあまり通貨を使わなくなり、米などでの支払いが増えてしまったようです。
生野銀山の直轄化
南蛮貿易の際、当時の日本の輸出品の主力は銀でした。
つまり、銀をおさえた者が、火薬の流通をおさえ、天下をおさえる!ということですね。
そこで信長は、生野銀山を直轄化します。
結果としてはねらい通り!
信長は、飛び抜けた軍事力を握ることになります。
商業都市の直轄化
信長は、将軍の足利義昭の上洛のお礼として、堺・大津・草津の支配権を認められました。
この辺は、政治政策のところでもお話しましたよね?
ねらいだった、日本の物流の動脈部分をおさえた結果…
既得権益層をさらに弱体化させ、経済封鎖によって関東や東北の大名達と戦わずして、弱体化に成功しています。
まとめ
さてさて「織田信長の政策一覧!抜群の政治や経済政策の特徴やねらい、影響は?」いかがでしたでしょうか?
こうやって見てくると、信長の政策の特徴は、流れの源を丸ごとおさえる他に!
既得権益を壊す!という発想も、つねに一貫していたようですね?
既得権益を壊し、政治的・経済的に流れの源をおさえて、ライバルを弱体化させながら…
強大な軍事力を見せつけることで、なるべく戦わずして天下を統一!
信長のそんな凄腕が、浮き彫りになるようです。
歴史って、本当に勉強になりますよね?
信長の政策を細かく調べたら、あらゆる力を使って周りを弱体化させながら自分が支配権を握って行く!
ある意味、現在のAmazonのような、凄腕の戦略が浮き彫りになった。