今日は、ご先祖さんの風魔一族のお話!
風魔の里と言ったら、どのあたりをイメージしますか?
城で言ったら、小田原城?
場所で言ったら、箱根の山あたりが本拠地?
一般的には、そんな感じではないでしょうか。
でも、どっちも違ったりします。
じつは!
風魔の本拠地は、茨城と千葉なんです。
「ウソ?そんなの知らねーぞ。」
なーんてツッコミも入りそうですが・笑
っという事で!
今回は「風魔の本拠地はどこ?城はどこ?」なんてお話。
どんな史料にも載ってない、風魔の末裔ならではの情報をからめながらお送りします!
ヨシ
2分ほどで読み終わるかと思います。
どうぞ最後までお付き合いください!
風魔の本拠地は小田原城?箱根の山?
さてさて、風魔と言えば、やっぱり小田原城!なんてイメージですよね?
あとは箱根の山?
通説によれば、風魔の本拠地は、箱根登山鉄道の風祭駅近くの風間谷だ!なんて言われています。
確かにこの時代、風魔は後北条氏の麾下。
当然、本城の小田原城にも、多数詰めていたと思います。
風祭近くの早川と言う川の名前や地名から見ても、この近辺を風魔一族が根城にしていたのは確かでしょう。
ただし!
風魔の里と呼ばれる本拠地は、ボクの知る限り、あくまでも下総国猿島郡!
今で言う、茨城県坂東市辺りになります。
この辺りが、後北条氏の領地になったので、風魔も北条氏の配下に加わった訳ですね。
ではでは、後北条氏が滅亡した後は、どうなったのでしょうか?
後北条氏滅亡後の風魔一族
後北条氏滅亡後の風魔一族の行方については、諸説ありますが。
共通しているのは、江戸幕府に討ち取られて全滅した!という話。
でも、もし全滅していたとしたら、末裔であるボクが居るはずもないですよね?
手がかりは風魔の本拠地である、坂東市の逆井城という城にありました。
『関八州古戦録』という史料によると、戦国時代の末期の逆井城には・・・
風魔小太郎の子である、風魔孫右衛門など忍者集団300人が詰めていたんだとか。
どうやら、小田原城には風魔小太郎が詰め、本拠地坂東の逆井城は息子の孫右衛門が守るという体制だったようです。
ところが、この逆井城も、豊臣秀吉の小田原征伐の後、廃城にされてしまいます。
この直後から、風魔の姿は、歴史から忽然と消え、全く行方が分からなくなります。
本当に全滅してしまったのでしょうか?
坂東の逆井城から柏市逆井へ
いえいえ!
じつは、風魔一族は逆井城から撤退した後、今の柏市に逆井という集落を作って住み始めたのです!
倭人お得意の地名遷移というやつですね?
もちろん、ボクの父も含め親族みんな、この柏市逆井の出身です!
さてさて、そんなこんなで、柏に移ってからも、風魔は忍者としての活動を続けます。
結果、江戸時代以降も、時の支配者に狙われたり、陰謀に巻き込まれたりと、紆余曲折あるのですが。
この辺は、長くなってしまいますので、またの機会にお話したいと思います。
風魔の本拠地は、茨城県坂東市と千葉県柏市の逆井!
城は坂東市の逆井城!