先日、ジャワ島の語源と日本の由来についての記事を投稿しました。
今日はさらに、掘り下げてみます!
法顕という中国のお坊さんが書いた『仏国記』という本に、インドネシア関連の記述があるそうです。
耶婆提国とヤーヴァドヴィーバ
中国の文献等にみられるタルマヌガラ王国- Wikipedia
「414年ごろ、師子国(スリランカ)から中国へ帰国するとき、嵐におそわれて耶婆提国に漂着した」そうです。
どうやら、「耶婆提国」とは、「ヤーヴァドヴィーバ」の事のようですね?
しかも「その国はバラモン教がはなはだ盛んで、仏教は言うに及ばない。」
つまり!
耶婆提国は、バラモン教=ヒンドゥー教が盛んで、仏教は話にならなかったそうなんです。
どうやら、ヤーヴァドヴィーバの流れは、今やインドネシア唯一のヒンドゥー王国「バリ島」に、脈々と受け継がれている!っという事!
タルマヌガラ王国と多羅国
さらに、見ていくと!
タルマヌガラ王国は、『通典』や『新唐書』に言及される7世紀頃に存在した「多羅磨」国(「たらま」こく)と呼ばれていたという記述が。
これは、物部氏の祖であるニギハヤヒ族の地名遷移の痕跡っぽいですよね?
じつはこの後、ニギハヤヒ族は、朝鮮半島の伽耶に「多羅国(タラ)」、熊本に多婆羅国(タバラ)を建国しています。
アンガ国と安羅国
一方、地中海からインドへ出て、アンガ国(首都はチャンパー)を作った邪馬台系のフェニキア人は、インドネシアでヤーヴァドヴィーバ(耶婆提国)を建国し、その後、ベトナムにチャンパ王国を建て、北上して遼東半島で燕(ヤムゥ・ヤン)を建国した後。。。
さらに、伽耶で、安羅(アラ)を建国し、その後、日本に入って宮崎西都原で邪馬台国という流れになって行ったようです。
まとめ
つまり!
ニギハヤヒ系と邪馬台系は、こんな地名遷移を残しながら、日本列島に辿り着いた訳ですね?
ニギハヤヒ系
多羅磨(タラマ)→多羅(タラ)→多婆羅国(タバラ)
邪馬台系
アンガ→アラ
ヤーヴァ→燕(ヤムゥ)→邪馬(ヤマ)
チャンパー→チャンパ