今回のテーマは、織田信長の先祖についてのお話!
先日、調べ物をしていたら、こんな記事に出くわしました…
「織田氏は平氏ではなく、真のルーツは町ゆかりの忌部氏」
平氏説について「信長を作為的につなげるため、親真を系図上で利用したと考えられる」と指摘
内容を簡単に言うと、こんな感じでしょうか?
- 織田信長の先祖は忌部氏
- 通説の桓武平氏説には作為があった
うーん、たしかに織田信長の先祖は忌部氏なんです!
でも、桓武平氏を名乗るには、ちょっとした理由があったんです。
ヨシ
2分ほどでサクッと読めると思います。
ぜひ最後まで、おつき合いください!
織田信長の先祖が忌部氏なのは有名な話!
歴オタの間では、織田氏の先祖が忌部氏である事!
福井県の織田劔神社の神官の家系で、劔神社のルーツが徳島県の剣山って事は、けっこう有名なお話!
四国の剣山の神官家系の忌部親真、またはその子孫の忌部常昌が、越前織田に移り住んで織田を名乗り始めた訳ですね。
この辺は、わざわざ取り上げるような事ではないのですが・・・
ボクが引っかかったのは、『織田氏は平氏ではない』の部分!
どうして桓武平氏を名乗るのか?
忌部氏と言えば邪馬台国系なので、確かに百済系の桓武の系統ではありません!
でも、忌部氏だからこそ、平氏を名乗るんですよね。
じつは、信長の時代でもまだ、邪馬台国系出自や忌部氏出自である事は、言うのが憚られていたから。
そこで、仕方なく忌部氏のオリエント統治時代の呼び名『タージ(ターイ)』を元にして、タイラを名乗り『忌部じゃない!』として。
さらに念には念を入れて、頭に『桓武』をつけて、『邪馬台国系でもない!』とするのが作法となっていたようです。
平安政権以来、権力の中枢は百済と藤原氏の系統が占める中で!
邪馬台国系の出自を明かすより、表向き百済系としておいた方がいろいろ都合が良かったんでしょうね?
まとめ
さてさて少し長くなりましたので、最終的にまとめると…
…っとこんな感じでしょうか?
邪馬台国の系統は、出自隠してる家系が多いですよね?
だいたい藤原氏とか桓武平氏とか、東漢氏とかそんな風にしてます。
この辺探って行くと、メチャクチャ面白いですよね?